ここでやらなきゃ、フジテレビじゃない。
フジテレビさん。
僕はフジテレビの看板番組は「めちゃイケ」「とんねるずのみなさんのおかげでした」そして、「SMAP×SMAP」だと思います。
それはなぜか。
長寿番組であること。
そして、何より特大ホームランを打てる番組であるからです。
フジテレビにあって、他の局にないもの。
それは、人々の記憶に残る伝説的な番組を作ってきたことです。
この前のめちゃイケの極楽とんぼ山本の回然り、いいともの最終回然り。
SMAPの5人旅だってそうでした。
今、SMAPの味方になれる唯一のテレビ局は、フジテレビだと思います。5人での唯一のレギュラーがフジテレビにあります。騒動の発端でも生放送でメンバーのコメントを放送したのもフジテレビです。
ここで、フジテレビが他の局と同じような対応を取ってたとえば静観…なんてことは不誠実極まりないと思います。カッコ悪いし、面白くないです。
フジテレビはよく「コント」と結びつけられて語られることが多いです。でも、実際はコントといわば対極にあるところのドキュメンタリーによってその時代の人々に何かを突き刺して来た、そういう放送局だと思います。いわば、コントをフリにすることによって。
はっきり言ってやらない理由は枚挙に暇がありません。事務所の圧力もあるでしょうし。
でも、やるべき理由が必ずあると思います。
こういう時にフリになってくれる番組はちゃんとあるじゃないですか。
そして、何よりスマスマがある。
壮大なコントを見せて下さい。
ドキュメンタリーとしての真実を映して下さい。
楽しくなければテレビじゃない。
もしこのまま打ち切りにして12/31を迎えるのだとしたら、フジテレビにはテレビとしての価値はないです。
「笑っていいとも」の最終回。タモリさんは一番最後に「明日もまた見てくれるかな?」と言いました。
SMAPの27時間テレビ内のSMAP解散ドラマの中で解散しないという宣言がなされた後に彼らが歌ったのは「俺たちには明日がある」です。
彼らに、そして、ファンに、明日を迎えさせることが出来るのは、フジテレビ。あなただけです。
27時間テレビの「未定」の枠のように、5人を、どこかに閉じ込めてしまえばいい。
ビストロに、あのいいともの最終回の人たち全員呼んだっていい。
何枚でも噛んだらいいと思う。
覚悟はいるけど、ここで立ち上がったら、こんなにかっこいいことはない。
それでも、まだ、やらずに見過ごしますか??
本当に思う。今もまだいいともがあったら、こんなことにはなってなかったんじゃないのかなって。
昨日のスマスマ、吾郎ちゃんのコントで、「週刊須磨」という文春によく似た雑誌を吾郎ちゃんが破くシーン。
スマスマのスタッフは、まだ全てを諦めた訳ではなく抵抗してるんだな、と感じました。
頑張ってください。
本当に。、
僕らのSMAP
寝れない。
寝たくない。
絶望。怒り。そして、何より、無念。
どーやら、確定らしいです。
SMAPの解散。
12/31をもって。もうすぐあの5人が揃う姿を見られなくなるんですって。
ひょっとしたら、
永遠に。
事務所の発表によりますと、事務所は一丸となって説得を続けたんですって。25周年のイベントをやろうって言ったんですって。
でもね、数名のメンバーがそれを拒んだんですって。
数名のメンバーがSMAPとしての活動を続ける気になれなかったから、解散。なんですって。
事務所は一丸となって止めようとしたんですって。
事務所の発表した文書によると、ですよ?
あくまで数名のメンバーによる意向のせいです、と言わんばかりにさ。
ふざけんなよ。
ふざけんじゃないよ。
解散が決まったなら、それはもうしょうがない。5人も納得して、その上で出した結論なのかもしれないから。
25年。結成から数えたらもっと長い間。ジャニーズの頂上にいたんだよ。SMAPを模倣してだれも超えられてない。今の今まで。
もしも12/31まで今みたいな形で冷遇するのなら、今すぐに事務所の力で解雇にしてあげて欲しい。お願いだよ。もう解散までするんだよ。全部無くなっちゃうんだよ。あの奇跡の5人が。こんなに大きな損失ないよ。。
まだこれ以上苦しめなきゃだめかな?
5人のことも。
ファンのことも。
12/31。どうなるんだろう。あれや、これは。
もしかしたら、これからの約5ヶ月。
テレビの本当の意味での覚悟が問われるのかもしれない。
屈するのか、誇り高く立ち続けるのか。
聖母から親離れして僕は。
2016年6月16日。1番大好きだったアイドルが卒業した。
卒業コンサートが行われた。その子の出身地である静岡県のエコパアリーナという会場で。6月15日、16日の二日間。
僕は、幸運なことに6月16日のチケットを購入出来た。チケットを購入出来てからLIVEまでは本当にあっという間だった。この間、何十、何百もの雑誌、テレビ、ラジオといった媒体で彼女の卒業についてのものを目にした。彼女への最後のプレゼントも沢山あった。シングルのセンターを任されたり、ソロ曲を頂いたりら番組内のLIVEをプロデュースしたり、写真集を出したり。僕はネガティヴだ。良いことが続くと、それがいつか終わってしまうことを考える。この場合の、それは「卒業」という明確なものなんだけど。でも、「卒業」という神輿に乗って前夜祭からひたすら、ひたすら盛り上がっている状態。本祭はその前夜祭の勢いを超えられるのかなぁとすら思った。そして、その本祭、つまり卒業コンサートの日を迎え、終えた今、何とも言えない不思議な気持ちになっている。だから、その不思議を少しでも整理したくて文章にしてみようと思う。
(なんか、小説っぽい書き出しにしてみた。完全な自己満。ブログなんで。)
乃木坂46に最初に接したのは、某W稲田大学の学園祭でのLIVEだった。そのLIVEがとにかく楽しかったから一気にのめり込んだ。『乃木坂ってどこ?』を見始め、『NOGIBINGO』をチェックし始めた。YouTubeの履歴に溢れかえる乃木坂の3文字。そんな時に一人のアイドルを見つけた。メンバーから「聖母」と呼ばれるその子はバラエティ番組でそんなに前に出ることはなく、音楽番組でもそんなに一人でカメラに抜かれることもなかった。でも、その子にスポットライトが当たったら、確実にその瞬間を彼女のものにしてしまう何かがあった。そして、某W稲田大学のLIVE終了からしばらくして1stアルバム『透明な色』の個別握手会があると知った。そして、誰に行くか散々悩んだ結果、あの子に行くことにした。あの時あの選択をしていなかったら、今こんなに空虚な思いをせずに済んでたのかなぁ。
「ヤバい!!!!深川麻衣!!!!まいまいと握手した。あんな奇跡的に可愛い人おるんか…」こうして推しメンが決まった。最初に決めた人をそのまま好きになる、という男らしさと言えば聞こえはいい単純さが僕にはあった。
そう。深川麻衣。本当に、本当に素敵なアイドルだった。3rdシングルで選抜入りして、福神入りして、フロント入りして、センターで有終の美を飾って卒業。出来過ぎてる。シンデレラストーリー。はっきり言ってこんなの綺麗すぎる。一回も序列が下がったことがないってさ。でもそのおかげで彼女を応援していてずっと夢を見させてもらえた。もうちょっと彼女を早く見つけてたらなぁ、と思わなくもないくらい。
彼女は優しいです。とにかく優しい。なにせ、聖母ですから。彼女が1番凄いのは一人の人間としての魅力でこれだけの人気を得たことだと思います。もちろんまいまいってめちゃくちゃ可愛いんですけど、アイドルが可愛いのってもはや当然になってきてて、そこからさらなるスター性だったりバラエティ性が必要なはず。でも、そこで戦うんじゃなくて、他人に対して優しくし、自分自身を強く持つという“彼女にとっては当然”のことをし続けた結果、これだけの存在になった、ということは全てのアイドルの標になったと思う。もちろん、最年長という立場はあったのかもしれないけれど。別に無理に優しくいる必要なんてないし、個性を探したりなんてせずにナチュラルでいることが実は1番アイドルという生き方には必要である、ということを気付かせたのはまいまいだったんじゃないかな、と思う。だいたい、個性なんて自然にしている時に生まれているものだし。でも、まいまいの個性を「聖母」と的確すぎる表現した川後陽菜ってすげぇなぁ。そりゃ、川後Pだわ。だからこそ、特に最近乃木坂46を見てて思うのは、それぞれが背伸びはせずに伸び伸びと自分を出せている、出そうとしてるメンバーが多いなと。これはやっぱり深川麻衣という聖母の姿を見た人々の教訓なのかなと思う。アイドルがトイレに行かない時代は終わって、出来る限り等身大でいる事が強みになるという時代になってるからこそ、まいまいは凄い人気メンバーになったんかなぁとか思う。「優しい」ってキャラ付けなんて実際かなりのプレッシャーやったやろなぁ。そのせいで自分の意見言いにくかったり、表現考えなきゃいけなかったり、余計にしんどい事いっぱいあったと思うけど、そこから逃げずにそれを引き受けたっていうのがもう本当に人として数枚上手だなぁ。
ヤバいね、こういうこと書いてるとどんどん泣いちゃう。
2016年1月7日にブログで卒業発表。バイトが終わって携帯見たらそんな世界になっていた。深川麻衣が卒業すると宣言した後の世界。「アイドルの卒業って何?」「その子は卒業したら何するの?」すごくよく聞かれた。俺、アイドル好きってだけでアイドルちゃうから知りまへん。実際アイドルがグループを卒業した後にLIVEなどにサプライズで登場することはたまにある。だから、そんなにアイドルにのめり込んでない人からすると、よく分からないんだろう。卒業するということは、同じ方向を同じ速度で進む群れから離れる事である。多くの場合、離れる理由として方向の違いを挙げる。でも、まいまいは卒業したらどういう方向に進むのかをはっきりとは言わなかった。だからこそ、僕としてもまいまいの卒業はぼんやりしていた。卒業コンサートが終わった今でも。
まいまいの生誕委員の人たちが『ハルジオンが咲く頃』ではサイリウムを白と黄色、『強がる蕾』ではサイリウムを緑にすることを呼びかけるプラカードを持ってずっと開演ぎりぎりまで歩き回っていた。それはまいまいを喜ばせる一心で。やっぱり、ファンはアイドルによって育てられるんだなぁ。不思議なもんで、ファンとアイドルって似る。もとから似てるから好きになるのか、アイドルの性格を好きになるから寄せちゃうのかは分からないけど。
そして、コンサートが始まる。正直、どんな感じか少し構えてた。もしかしたら前半から感動要素は多目か?とかオープニングから泣いちゃうかなぁ?とか。でも、終盤まではとにかく楽しいんです。一曲目に『ハルジオンが咲く頃』。そこから怒涛の展開。まいまいを語る上で欠かせない曲や、まいまいが参加している曲。なんなら、本来は参加してない曲にもまいまいが参加してたりして、ずっとまいまいが出てくれてる!!!何この最高のLIVE!!!となるわけです。MCも企画もまいまいが中心だったり。
でも、そんな楽しい時間が落ち着いてMCに入って「次が最後の曲です。」とまいまいが言う。会場はもちろん「え〜」となる。僕はそんな事より大事な事を忘れていた事に気づく。「あ、さっきまでやってた曲ってもう2度とまいまいは…」泣く。というか、それに気付かずにひたすら「ヴォイ」を連呼してサイリウム振って「フーフー」言っていた自分、完全に楽しませてくれたまいまいを始めとする乃木坂46にただただ驚く。そうじゃん、もうまいまいがいる『せっかちなかたつむり』も『でこぴん』も聞けへんやん。俺の脳がカセットテープで出来てたら、キュルキュル言わせて巻き戻したい。なんで、俺の脳はメロンパン入れるやつみたいな形しとんねん。。そして、最後の『悲しみの忘れ方』を披露。「これでLIVE終わりか…」なんて思う人は誰もおらず、メンバーがはけた途端にアンコールを始めるアホが会場の各地に現れ、アンコールを大合唱。アンコールって、本来LIVEは終わった。それなのにどうしても我慢できないからお客さん全員で力を合わせてもうちょっと聴かせてくださいってお願いするポーズやのに、はけた途端にアンコールてそれ、お前「サンタさんなんて居ない」に匹敵する興ざめ案件やないかい。夢を売るアイドルのLIVE現場で何を夢ないことしとんねん。今年のクリスマスにバチ当たれ。だいたい、そんなに急かしたら乃木坂ちゃん水も飲まれへんやろ。間を埋めながら大声出すコンテストは他所でやってくださいませm(__)m
そんなこんなで、アンコール。『強がる蕾』まいまいのソロ曲。この時、本当に客席見たら全員緑。あかん、泣いてもーた。全員が一つの気持ちになった感動。
それから、メンバー、スタッフ、ファンに手紙を読み上げるまいまい。そして、メンバー全員一人一人と最後の会話。ここはほとんどマイクを通すことなく本当の言葉を伝え合う。何話してんのかな〜とか思いつつ見守る。でも、まいまいが凄いのはそんなに感動的な状況においても、マイクを通して言った方がいいと判断したことをはマイクを通してファンと共有してくれる。ずっとそうだった。ファンの事、メンバーの事、みんなの事を考える。しかも、絶妙に笑えるところでマイクを使うから感動と笑いのバランスがまあ素晴らしかった。もちろん泣くんですけど、やっぱりそれよりも笑っちゃう。感情だけがジェットコースターに乗っちゃうから理性だけが置いてけぼりで、だから不思議な感覚だった。涙は目に溜まるけどギリギリの所で笑っちゃうから、もどかしい。でも、それがあのLIVEの正解だったような気がする。『ハルジオンが咲く頃』は別れの歌だったけれど、別れの中にある希望を歌った明るい曲だった。『強がる蕾』もそう。別れを少し悲しんだとしても涙を見せたりはしない。それが深川麻衣の優しさであり、強さであり、笑顔だから。
だからこそ、Wアンコールで披露したのは1番最初に披露した『ハルジオンが咲く頃』だったんだろう。そうじゃなければならなかった。始まりと終わりが同じ曲なんだけど、その聴こえ方が全然違う。その体験はこのLIVEを目撃した我々にだけ許されたものであり、今回のLIVEが伝説となった所以なんじゃないのかな。
こんなに多幸感に包まれ、涙に溢れ、それ以上の笑顔に溢れるLIVEをやり遂げた今現在の乃木坂46が最高だ。
深川麻衣さん、あなたは最後に「私はみなさんの為になにか出来ていましたか?」と言いました。僕は数え切れないほどの癒しと笑顔と元気をもらいました。あと、少しの涙と。
ただ、今はまだ聖母と呼ばれたあなたから親離れする自信がないので深川麻衣ロスに陥ることにします。当分は、まいまい毎日マイペースじゃいられないかも。。。
本当にお疲れ様でした。
まいまい、ありがとう!!!
『火花』のお話。
「人生は大丈夫。」
あの『火花』がドラマ化すると聞いた時、「でしょうね」と思った。あれだけ話題になって売れに売れて、芥川賞まで取ってる。そりゃ、話題にならないわけがないし、1話目は結構観られるだろうからそれなりの数字も見込める。手を挙げる人は山ほど居るだろうなと。しかも、映像化困難かと言われればそんなこともないし。まあ、面白く見せるのは難しそう、とは思ったけど。
でも、Netflixでのドラマ化には「えっ…?」となった。理由は極めて単純で、Netflixに加入してなかったから。さすがに『火花』の為に加入するのはな〜って思いました。そっかテラスハウスとか観れんのか。う〜ん、でもなぁ〜。となっていた。そもそも値段も知らねーし。見放題って2000円くらい取られんのかなぁとか思ってたら、月額650円〜だった。
結局、加入。最初の一ヶ月は無料体験期間だったってのと、『火花』が1〜10話までイッキ見出来ることを知ったから。そしたら、『最高の離婚』『結婚できない男』『モテキ』『横道世之介』『GTO』(反町の方)などなど。夢のような世界が。すげぇぞ、Netflix!!!まだ、入って3日。無料体験期間から有料期間への突入?全然ありやんけ!!!
そんなこんなで『火花』を二日間で5話ずつイッキ見。正確には半イッキ。
あらかじめ言ってしまうならば、Netflixでやって良かった。本当に。大正解。地上波でやらなくて良かった。地上波のドラマに否定的なわけではない。なんなら、大好きだ。でも、昨今のドラマの「分かりやすさ」「テンポの良さ」「明るさ」が視聴率を取る傾向、そして視聴率だけでドラマの善し悪しを決められてしまう傾向が残る現状では、この『火花』はその傾向にはそぐわない。視聴率悪くて、「火花散る!」みたいに書かれて作品の格が万が一下がるようなことになったら凄くいやだったから。だから、視聴率という御都合主義から守られる意味でもNetflixで良かった。
『火花』の為に加入するのはな〜と思ってるみなさん、『火花』にはそれだけの価値あるから安心して加入して見てください。観終わったら退会しちゃえば良いんです。
回を追って面白くなっていく作品。もちろん最初から面白いんですけども。その面白さは回を追うごとに増幅してくんですけど、それって純文学の持ち味なのかなぁと。なんで皆、小説ならじわじわ面白くなる作品を最後まで読めるのにドラマだと観れないんだろう。
もちろん、言うまでもないが、原作はピース・又吉直樹の『火花』
キャスト。
主人公の徳永太歩は林遣都。
もうね、観たら分かるけど、確実に又吉が乗り移ってる。声で選ばれたんじゃないかなと思うんだけど、もう喋り方、姿勢、表情、漫才での立ち姿が完全に普段テレビで見てる又吉。徳永は自分をモチーフにしてるわけではないって又吉は言ってたけど、まあ又吉っぷりが凄かった。微妙に猫背になってる感じとか。あと、特に銀髪の時に清潔感と不潔さが絶妙に入り混じる感じも又吉っぽかった。
師匠の神谷才蔵。波岡一喜。
『火花』が実写化するってなってキャスト色々考えてた時に、神谷は確実に波岡一喜だと思ってた。あんまり主役級の役のイメージは無いけど、『ベイブルース〜25歳と364日』という映画で、90年代後半に存在した伝説の漫才コンビ、ベイブルースのツッコミの高山役をやってて、この時の漫才がまあ上手くて。火花観たなら絶対に観た方が良い。観るべき。漫才のツッコミって言わば司令塔でプロと素人で一番差があるところやと思ってて、それを完璧にやってたから波岡一喜、凄いです。
多分ツッコミの重要性分かってるから、このメイン2人のそれぞれのコンビのツッコミにプロを持ってきたのかな。
徳永の相方、山下真人に井下好井・好井まさお。
神谷の相方、大林和也にとろサーモン・村田秀亮。
まず2人とも漫才の人やのに演技がめちゃくちゃ上手かった。好井、これからドラマとか映画のオファーめっちゃ増えそう。雰囲気、原田泰造っぽいし。
個人的なベストキャスティングは村田で、神谷とのコンビ「あほんだら」の芸人からの人気が高いのに今一つブレイクしない感じがもう完全にとろサーモンで。大林の神谷に振り回されつつも愛をもって見守ってる感じがもう、まんま久保田に対する村田なんですよ。
ええ加減、売れてくれ。とろサーモン。
その他も、門脇麦、染谷将太、田口トモロヲ、小林薫、渡辺大知、渡辺哲、高橋メアリージュンなどなど、まぁ豪華。温水さんとか武田梨奈とか山本彩、なんかも一瞬しか出てこない贅沢な使い方。他にも見たことある顔ぶれが山ほど。吉本の内輪になるどころか、世界狙えますやん。あと、合間合間にちょこちょこいろんな芸人が出てくる感じも楽しかった。漫才のオーディションで審査員の後ろにピントが合わない大西ライオンがいるのとか楽しかったし。
関西弁を話す登場人物に、関西弁がネイティヴの役者をキャンスティングすることは絶対的な正義である、と思った。林遣都は滋賀出身で、波岡一喜は大阪出身。関西弁がネイティヴじゃない役者さんに無理に関西弁を話させようとしたってほとんど得がないと思うんです。特に関西人はそこだけ異様にシビアだったりするんで。
と思ったら「唯一(又吉が)こだわっておられたのは関西出身でネイティブな関西弁をしゃべれる方が良いということだけ」って廣木隆一監督がインタビューで言ってた。http://eiga.com/news/20160604/8/
廣木隆一監督の作品としては、「さよなら歌舞伎町」を観たことがあった。引きの画と長回しの印象が残ってたんだけど、今回、、どんだけ長回しすんねん!!最高か!!引きの画での長回しが凄い多い。余韻たっぷり。余裕がないこの時代に逆らうかのような余韻の多さ。この余韻のたっぷりさが贅沢で、しかも作品の空気感をどんどん濃くしてくれる。たまらんわ。そういえば、染谷くんも田口トモロヲも「さよなら歌舞伎町」出てたね。
あらすじ。Netflix公式に載ってたやつ。
売れない芸人の徳永は、営業で行った熱海の花火大会で先輩芸人の神谷と出会う。誰にも媚びないスタイルと天才的なセンスに強く惹かれた徳永は、神谷に弟子入りを志願する。神谷が伝えた唯一の条件。それは、
「俺の伝記を作ってほしいねん」
夜ごと浴びるように酒を酌み交わしては、「お笑い」について熱く語り合う徳永と神谷。神谷は自らの笑いの哲学をさらけ出し、徳永はそのすべてを吸収しようとする。馬鹿馬鹿しくも純粋に笑いに向き合う時間を共有していく中で、二人の歯車は少しずつ噛み合わなくなっていく。
コンビとして少しずつ売れていく徳永と、すべてが思うようにいかずもがき苦しむ神谷。
ある日、神谷は借金を抱えたまま忽然と姿を消してしまうのであった。
ざっくり。でもまあ、あらすじなんて粗い筋なんだから許そう。
物語は2001年から始まる。すでに徳永も神谷も漫才師。てことは、M-1チルドレンではないんだね。ちなみにこのお話のラストは2010年。M-1最初の10年としっかり重なる。お笑いブームが来る少し前か。花火大会の営業。皆、花火を観に来てるわけで無名の若手の漫才を観に来ているわけがない。時間が押して花火が上がる中での漫才。最初に出番が来たスパークスの漫才を見る人はいない。そのまま漫才が終わり、舞台袖に戻る徳永に神谷が「仇とってきたるわ」と言って舞台に上がる。
2人が出会う。舞台上で神谷は客に吠える。漫才を観ている客、花火を観る客にひたすら「地獄に落ちる」を連呼する。その型破りで自由なスタイルに衝撃を受けた徳永は神谷に弟子入りをする。そこから始まる師弟関係。ただただ笑いとは何かを突き詰めようとする2人の会話がベースとなりお話は進みます。もはやこの会話がそのまま漫才になるんですよ。そもそも漫才って2人の人間が等身大の会話をしててそれがたまたま面白いもの。なんなら、2人が一番漫才してるんじゃないかな、舞台上ではなく居酒屋で。
で、2人の関係において欠かせないのが門脇麦演じる真樹。
神谷と同居していたが、最後他の男と付き合うことになり、神谷との縁が切れ、これにより神谷が変わっていってしまう。『火花』という物語の変容において最たる重要人物。なのに存在感としてはとてもさりげなく添えられている。その存在感としての門脇麦、やっぱりすげーなって。『二重生活』観ないと。
それぞれのコンビ、スパークスの物語、あほんだらの物語もちゃんと描くから本当に物語としてすごく丁寧。
やっぱりスパークスの成長の物語、青春物としての充実度も凄くて。小学校の頃、夢路いとし・こいしの漫才を見てから始まっていた2人の物語。ネタ合わせの場面、出番直前の舞台袖、漫才、帰り道。これ、いわゆる青春じゃないですか。でも、ドラマって必ず青春は終わるんですよね。9話。徳永は山下ができちゃった婚するとともに実家に帰ることを告げられる。相方でありながら小学校の頃からの友達でもある山下の人生を考えるしかなかった。そして、解散することが決まる。
最終話10話の冒頭。2人が演る最後の漫才。2人の本当の気持ちと真逆の言葉をぶつけ合うことをフリに本当の思いを思いっきりぶつけて伝える漫才。徳永は山下に「お前と漫才してて楽しくなかった。俺は不幸だ」と言い放つ。さらには客に向かって「死ね」という言葉をぶつけまくる。感謝の気持ちを添えて。それは奇しくも自分の師匠・神谷が彼とはじめて出会った舞台で「地獄」を連呼していたあの時のように。それを見守り涙する神谷。
涙します。でも、最後は笑います。本当の「泣き笑い」がそこにはあります。
「泣いて笑って夢を見た」という曲を作ったファンキー加藤さんにも、この映画を見て欲しいなぁ。映画ちゃうわ、ドラマやった。
笑いの力は偉大だ。正義だとすら思う。笑いというものの本質の中には「救済」があると思う。笑わせる人間と笑う人間、双方を救う行為。笑う人間は、わかりやすい。笑うという行為によって癒されることは誰にでもある。じゃあ、笑わせる人間はどうか。笑わせるという行為は成立した瞬間に自分自身を圧倒的に肯定することが出来る。失敗、不幸を笑い話に出来るかどうかで人生見える景色は全然違う。失敗や不幸が笑い話になったあの瞬間、救われると思うことが多々ある。それを僕にテレビを通じて教えてくれたのは松本人志と又吉直樹だったんだと思う。
だからこそ、この『火花』の10話のラスト。めちゃくちゃアホだ。その名の通り、あほんだら。あと、これを観たらあ、そりゃ地上波無理やわ。(笑)
徳永の物語として、この『火花』という作品があったならスパークス解散、そして最後の漫才。そして神谷は消えて2度と会うことはなかったーみたいな展開でも良かったんだと思う。
しかしそうはならなかった。神谷は超えてはいけない一線を超えて徳永の前に現れる。お笑いというものを信じきった男は、自分自身をさらに道化にしようとして、とんでもない、果てしないアホな姿で現れる。
「Fカップです。」「何してんねん。」その姿に絶望を感じて悲しくなって泣いてしまう。でも、それでも、そのアホさに笑ってしまう。神谷のアホさと真面目につっこむ徳永にも、アホさに気づいて泣いてしまう神谷にも笑ってしまう。そうすることが神谷を救うことでもある、と視聴者側が感覚的に分かってしまうから。人間、「こいつなら仕方ないな」と思わせたら勝ちじゃないですか。なんなら、神谷はそういう奴なんだと思わせるために10話あったんじゃないのか。そこまでして神谷を肯定することこそがこの火花の一番の目的だったんじゃないか。あほんだらに生きる男の尊さと美しさ、そして愛くるしさ。本当に素晴らしい作品でした。そして、その後の彼らをまだまだみたい。人生は続く。その後、職業漫才師ではなくなるかもしれないが、漫才師という生き方を続けているかもしれない。それならそれで見たい気もする。
「生きている限り、バッドエンドはない」 のだから。
ベッキー復帰に思った色々。
社内なのに全然知らなかった!!
— 藤井健太郎 (@kentaro_fujii) 2016年5月10日
ベッキー極秘復帰してた!中居と「金スマ」ロケに参加 最短で13日に放映(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース https://t.co/erTB1bMaVA #Yahooニュース
今一番勢いと評判があるTBS「水曜日のダウンタウン」の藤井PのTweet。本当に極秘中の極秘だったようで。番組スタッフのチームの結束の強さを感じます。
これで思い出したのが中居くんのパパが亡くなった際のお話→http://www.hochi.co.jp/entertainment/20150517-OHT1T50033.html
もうね、「中居正広の生み出すチームの結束力」っていう本発売されたら全ビジネスパーソンが読むと思うんですよ。SNSが発達してこれだけ望まないネタバレが多い中ちゃんとそういうチームを作ることができるってリーダーシップが過ぎるやんって。「金スマ」スタッフはちゃんとレギュラーであるベッキーに対する配慮が出来てたんじゃないかな。
そりゃ、SMAPの騒動の最中に番組名を微妙にいじってまで中居くんと生きていける道を選ぶ。そうさせる魅力。